円山応挙 桜に孔雀図
円山応挙 桜に孔雀図

円山応挙(1733-1795)は、丹波国南桑田群穴太村(現亀岡市)の生まれ。十五、六歳の頃上洛し、玩具屋に奉公しながら絵画の勉強を始めました。
師匠は狩野派の画家石田幽汀。ここで正しい画法を身に付け、やがて洋風画や沈南蘋派(しんなんびんは)の写生画風の影響をうけ苦心の末、写生を標榜する円山派を樹立し、一家を成しました。本図は寿老西王母孔雀図三幅対の中の一幅で、桜花の下、岩にとまって羽根を休める孔雀一羽を描いています。孔雀の絵は応挙の得意とするところで、明和八年(1771)円満院で描いた孔雀牡丹図、寛政七年(1795)香住の大乗寺襖絵松に孔雀図等数々の名作が知られています。本図の中幅に「辛丑仲春写」の年記があり、天明元年(1781)の四十九歳、円熟期の作であることが知られます。